精神科研修医は1年の研修を終えて大学へ帰って行った。風のうわさによると大学を辞めて、姉と結婚したという。あとから来た後任の指導監督医が教えてくれた。誰にも知られていない遠くの街に引っ越すとのこと。
研修医が大学に戻るのと時を同じくして、姉はもう面会には来なくなった。疲れ果ててしまったのだろうと皆考えていた。ただ1回だけ、半年くらいして、姉が勇二に会いに来ていた。「お姉さん。遠いところに引っ越すことになったから。もう会えないけど、勇二は一人でも歌を唄って頑張ってね。お姉さん、ちゃんと遠くから聞いているから」勇二はその場では、素直にうなずいた。すぐには理解出来なかったのだろう。
姉が帰ってから、勇二は大声で泣きだした。一晩中泣きじゃくっていた。勇二の掘った穴が、天井から崩れおちていくのがわかった。支えにして来た、姉の愛情がもうそこにはなかった。それから病棟で勇二の歌を耳にすることはなかった。
一か月もしないうちに勇二は2回リンゴを喉に詰まらせ、2回目で死んだ。1回目は私の目の前だったので、何とか息を吹き返したが、2回目は自室だった。結局、研修医はどちらを救ったのか?勇二か姉か?研修医は自分に出来るだけのことをしたのだと思う。救える方を救ったのだ。しかも身を挺して。 研修医は、勇二が支えにしていた姉の愛情を奪った。そして勇二は死んだ。でも姉はしあわせになることが出来た。そのままだったら、ふたりとも、しあわせにはなれなかっただろう。勇二は姉の先のことを想い、重石になるまいとわざと…
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