球(たま)18803部隊

1945

ここから地下壕に移った、南風原陸軍病院壮絶闘いが幕を開ける。換気のないジメジメとした地下壕での診療日光が入らず、すぐにカビが生える。食事壕内では作れずに、はるか下の炊事場まで行って作る。もちろん外に出れば、すぐに米軍機機銃掃射餌食となる。飯上げの道命がけだったのである。

戦況悪化するにつれ、次から次にと負傷兵がひっきりなしに運び込まれる。ついにはからはみ出した。壕内では激痛を訴えるうめき声や、軍医看護婦に助けを求める叫び声。吐物排泄物悪臭。そして傷口や飛び出した内臓、切り落とした手足が腐っていく異臭壕内には地獄絵図が広がっている。

医療器材包帯薬品も次第に底をついていった。そんな中、軍医看護婦果敢活動した。さらに沖縄師範学校女子部県立第一高等女学校生徒および引率教師237名看護補助要員として動員された。後になって「ひめゆり学徒隊」と呼ばれる。彼女らも命がけ最期まで闘った。

第一外科壕の中の「手術室」と壁に書かれた、形ばかりの小部屋では、毎日何例も、腐りはじめた切断手術麻酔なしで行われた。そのたびに、激痛叫び声を切るノコギリ壕内にこだました。消毒も十分に出来ないから、傷口にすぐウジ虫がわく。夜になると遠く発電機低い音に混じり、近くでウジ虫傷口をかじる「カサ、カサ」というがあちこちで聞こえた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました