1945 学童疎開を追体験 宮崎 「やーさんめし」とは「ひもじいめし」を意味している言葉。疎開した学童らは弁当がなく、学校の昼休みにはそっと教室を出て行ったという。さらに宮崎は沖縄と寒さも段違い。雪も降る。氷も張る。学童らは半ズボンに半そで、靴や靴下もなく裸足。だからいつも... 2024.02.06 1945
1945 今を生きているきみへ あの時、国民学校の生徒のほとんどが、対馬丸とともに海に沈んだ。何一つ悪いこともしていないのに。なぜ、なんの罪もない子供が死んで行かなければならなかったのか。戦争ばっかりの時代に生まれて。だから「今を生きているきみへ」 二度と同じ思いをする子... 2024.02.03 1945
1945 学童疎開船対馬丸と国民学校生 見学順路は2階から開始となる。そこには対馬丸に関する資料や年表が掲げられている。DVDから生存者の証言も流れている。予約すれば、実際の生存者が「語り部」(かたりべ)として当時のありのままを話してくれる。だが「語り部」も高齢となりその数も残り... 2024.02.01 1945