1945

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ひめゆり平和祈念資料館

ひめゆり平和祈念資料館は、南部戦跡ひめゆりの塔に隣接して位置する。ひめゆりの塔とは、戦時中に最も多くのひめゆり学徒隊の犠牲者を出した、沖縄陸軍病院第三外科壕あとに建つ慰霊碑である。糸満市伊原にある。那覇市内から車で30分前後。南の端だ。ひめ...
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骨を掘る男 2024

慰霊の日が今年も来た。2024年06月23日正午の時報を合図に、黙とうが捧げられた。ここは沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園である。3日前に梅雨明けした沖縄は、強烈な陽ざしが照らす。79年前に想いを託し、令和6年沖縄全戦没者追悼式が行われてい...
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再会の街 舞鶴

舞鶴地方引揚援護局の当時の係官に話を聞くことが出来た。船名と上陸の日付がわかれば、厚生労働省に問い合わせて乗船名簿を確認できるとのこと。それに入国持ちこみ品も記載されているから、なくした行李の手がかりになるかもしれない。そう教えてくれた。そ...
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舞鶴地方引揚援護局

舞鶴地方引揚援護局は待っていてはくれなかったのだ。やはり79年は長すぎたのか。聞くところによると、舞鶴地方引揚援護局は役目を果たし終え、なんと65年前に閉局したとのこと。そして現在は舞鶴引揚記念館がその役目を担っているらしい。同じ東舞鶴にあ...
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岸壁の年金生活者 4

それで母92の命(めい)はどうなったのか。ふと我にかえった。そのために来たのではないか。行李をみやげに持って帰らねば。だが、振り返ると桟橋一面、人人人の波。沖の引揚船から小型船が次々と往復する。小さな桟橋は人人人であふれかえり、海に落ちる者...
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岸壁の年金生活者 3

ひっきりなしに、丸太を満載した大型トレーラーが何台も横をかすめていく。なんと舞鶴地方引揚援護局のあった敷地は、ベニヤの大工場と化しているではないか。跡形もない。工場からは白煙があがり、あたり一帯かぐわしい木の匂いが漂っている。その先だ。50...
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岸壁の年金生活者 2

高速バスは舞鶴若狭自動車道を降り、やがて舞鶴市内に入る。あたりには夕闇がせまっていた。東舞鶴に近づくと赤レンガ倉庫群が現れる。港にはいくつもの自衛隊の艦船が、ところ狭しと停泊している。かつては軍港だったのだ。しばらく走ると道幅が急に狭くなる...
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岸壁の年金生活者 1

春爛漫の伊丹空港には昼過ぎに到着した。ジェット気流に乗り、空中にはスギ花粉が飛び交う。桜も満開を終え、散り際をむかえている。昼間は暑いが、朝夕はまだ冷え込む。クスリ漬け年金生活者は、その母92の命にて舞鶴港へ向かっていた。空港からは京都交通...
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学童疎開を追体験 宮崎

「やーさんめし」とは「ひもじいめし」を意味している言葉。疎開した学童らは弁当がなく、学校の昼休みにはそっと教室を出て行ったという。さらに宮崎は沖縄と寒さも段違い。雪も降る。氷も張る。学童らは半ズボンに半そで、靴や靴下もなく裸足。だからいつも...
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今を生きているきみへ

あの時、国民学校の生徒のほとんどが、対馬丸とともに海に沈んだ。何一つ悪いこともしていないのに。なぜ、なんの罪もない子供が死んで行かなければならなかったのか。戦争ばっかりの時代に生まれて。だから「今を生きているきみへ」 二度と同じ思いをする子...