ひめゆり平和祈念資料館

1945

ひめゆり平和祈念資料館は、南部戦跡ひめゆりの塔に隣接して位置する。ひめゆりの塔とは、戦時中に最も多くのひめゆり学徒隊の犠牲者を出した、沖縄陸軍病院第三外科壕あとに建つ慰霊碑である。糸満市伊原にある。那覇市内から車で30分前後。南の端だ。

ひめゆり学徒隊については、何度も映画化され知らない人はいないだろう。そして、このひめゆりの塔自体にも歴史のひずみが重くのしかかる。建立されたのは太平洋戦争終戦直後の1946年。つい40年前までは、壕入り口に頭蓋骨が転がっており、度肝を抜かれたのを覚えている。

整備されたのは、ごく最近のことなのだ。そして1975年7月17日に事件は起きる。沖縄海洋博が開催されて沸き立つ沖縄。高速道も一流ホテル建設も間に合った。念願の今は亡き海上都市アクアポリス」も完成した。その開会式には当時の皇太子が出席された。戦後初の皇族の来沖である。

それを、本土決戦の捨て石とされた沖縄戦の歴史のひずみが襲ったのだ。ひめゆりの塔で皇太子と美智子妃殿下は、壕内に潜んでいた沖縄開放同盟準備会らの火炎瓶襲撃にあう。もともと皇族の来沖は断固阻止を掲げていた組織である。今日に至っては、先島や沖縄は有事の際の本土防衛線とまで揶揄されており、ひずみは益々深くなっている。

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