092孝子が家庭を持ったマツモトキヨシではジンギスカンが流行りだった。1960年代となる。やがて長男が生まれた。しばらく引きこもり状態でニートだったが、なんとか4年後には星組に入ることが出来た。しかし当初は環境になじめずに脱走を繰り返した。そこで神父は、履いて来た靴を手の届かない高いロッカーの上に載せるというイジメをしたのだ。これでは脱走しようにも出来ないではないか。
そもそもカトリック系幼稚園の教職に就く、聖職者がイジメをするとは何事か。しかしそのおかげで出席日数も無事クリア、翌年には年長組の月組へと進学することが出来た。そして卒園児代表として答辞まで、しゃべる羽目にまでなってしもうた。そしてこの間並行して、それまでの御徒町から蟻ケ崎西へと、より職場の近くの教員住宅へと一族は引っ越したのだ。
御徒町の家には大きな柿の木があった。しかし秋に実をつけると、狙っていた大家が熊のように現れ一個残らず取っていく。そして092孝子一族には一つも残さなかった。それが引っ越しの根本原因だった。蟻ケ崎西では次男も生まれて、総勢6名の大所帯と化した。達雄の母、慧(メグ)と妹の美和子も同居していたのである。核家族化はごく最近からだから、このころはこれが普通だった。
3年後に美和子が結婚。式は縄手通りの神社だった。同じマツモトキヨシの横田に新居を構えた。そしてジンギスカン大会が開かれるようになったのだ。時には達雄の弟、嘉美一家も茅野から流行りのスバル360で駆け付けた。七輪で火をおこし、中央が上を向いている隙間の空いた鉄製のなべでラム(子羊)を焼いて、リンゴを擦ったタレで食べるのだった。ジンギスカン鍋。今でも有名である。
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