塩の道は糸魚川から内陸に入り、険しい山々の麓をぬって立山連峰を迂回。白馬を通り黒四ダムのある大町に至る。そこからまた狐火の出る山道を進み、やがて安曇野へと開ける。ここまで来れば目的地、マツモトキヨシまであと一息だ。間違って行き過ぎると塩尻だ。上杉謙信が敵の武田信玄に塩を送った道である。千国(ちくに)街道と呼ばれ現在の国道147~148号線にあたる。現在の単位に換算すると約120kmにわたる。
そしてこの街道は今も土砂崩れが多く、大雨で通行止めとなることも多い。11月を過ぎると大雪でも通行止めとなる。険しい険しい曲がりくねった山の道である。こんな道で重い塩を運ぶのはいやだ。でも見晴らしのいい場所もある。途中経由する青木湖、木崎湖などだ。しかしこの湖水をいくら熱して乾燥させても、塩は出来ない。なぜか?世界にはウユニ塩湖をはじめ、塩の出来る湖はたくさんあるのに。
だから武田信玄は兵糧攻めにあった時にピンチとなったのだ。それが海を持たない内陸地の弱点だ。作物や肉など、食べ物はいっぱいあるのに塩だけが手に入らないのだ。ここでハタと疑問が沸く。はたして生きていくのに、本当に塩は必要か。アフリカのマサイ族やアマゾンのヤノマミ族は塩を摂らないで生きている。信州の武田信玄もニホンのタケダ族と化せば良かったのに。
しかし戦いは重労働だから塩分補給しないと、戦闘中に熱中症や日射病になるぞ。そもそもそれの反動か。信州は野沢菜漬けをはじめとする漬物文化が急速に発達した。そして塩分過剰となり、脳血管疾患や心疾患(精神病のことではない)で、ヒトがバタバタと死んでいった。死者続出だ。そして東北地方とともに寿命ワースト1~3位を争うまでになる時期があった。ところが佐久総合病院をはじめ、県民一丸となって減塩運動に成功。今では日本の最長寿県に登りつめている。
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