かつて六号坂にはアヒルがいた。坂を下り来ったところを左手に入ると、夕方2時間しか開かない診療所があった。住みかはその向かいの岩坂荘あたりか。アヒルの昼は、駅前のゴールデン地下街の賭場だった。甲州街道をはさんで京王線の駅がある。そのころの京王線は、まだ地上をさまよっていた。その上を首都高が走る。
都会の雑踏の中、ゴールデン街はパチスロ店・喫茶店・雀荘・飲食街で昼からにぎわっていた。藤前と南郷がいた。彼らはプロ級のパチスロ師だった。学費は故郷から仕送りしてもらうが、日々の生活費はなんとパチスロで稼いでいた。今のような割のいい闇バイトなどない時代だ。だから毎日、地道にパチスロ店に通う。
そして南郷はアヒルだった。パチスロ店の無料のドリンクを飲み、空になった紙コップを口にくわえたまま、何時間もパチスロを打つのだ。だから顔面にいつも紙コップが張り付いていた。口を時々上下に動かす。紙コップも上下に動く。まるでアヒルのくちびるそのままだ。だからいつしかアヒルと呼ばれていた。
アヒルたちは夕方になると、近くの西洋公衆衛生学院に集まる。夜会が毎晩開かれているのだ。夜会といっても賭場ではない。衣料品関係の専門学校である。その夜間部に籍を置いているのだ。ぞくぞくと駅から水道道路沿いに、同族が集まって来る。みんな昼間働いているから、疲れ気味で足が重い。これから21:00まで講義だ。
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