そして3月には地方にもどるアヒルの一群がいる。しかし何年たってもアヒルはアヒル。飛ぶことはまず出来ない。何羽かは陽の目を見て、飛べることを信じて都内に残るが、ほとんどは体を左右に揺らし、ヨタヨタと帰って行く。彼らは上京生活で何を得たのだろうか。何を失ったのだろうか。まるで「木綿のハンカチーフ」の世界だ。
これからどこで働くのか。里にもどるのか。そう思うとこの商店街にもお世話になったものだ。きっと懐かしく思うことだろう。毎年学生が地方からやって来ては帰って行く街。家賃¥28,000の岩坂荘の屋上は、毎年夏、ある晩電球を点けて、仮設のビヤガーデンを女将が作る。そしてこのアパートのOB会を開いて昔話に花を咲かせるのが常だった。
たしか1階は焼き鳥屋だったはずだ。気が強いが優しい女将だった。クスリ漬け年金生活者も旅立って、良くも悪くもそのOB会の一員になるはずだった。ところが現実は悲惨だった。旅立つはずの日、六号坂から抜け出せないアヒルの一群となってしもうた。卒業が出来ず、国家試験の受験資格も得られなかった。
留年である。退学するか、もう一年やるか考えたくもない決断だ。問題は現金とやる気だ。両方ないと挫折と絶望が待っている。六号坂のアヒルの仲間たちも岩本を除いて留年していた。皆巣に閉じこもって顔を合せなかった。その晩、クスリ漬け年金生活者はやけになり、深夜の関越道を時速160キロで信濃方面に向け暴走していた。
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