六号坂のアヒルたち 4

シゴト

そして3月には地方にもどるアヒル一群がいる。しかし何年たってもアヒルアヒル。飛ぶことはまず出来ない。何羽かは陽の目を見て、飛べることを信じて都内に残るが、ほとんどは体を左右に揺らし、ヨタヨタと帰って行く。彼らは上京生活で何を得たのだろうか。何を失ったのだろうか。まるで「木綿のハンカチーフ」の世界だ。

これからどこで働くのか。にもどるのか。そう思うとこの商店街にもお世話になったものだ。きっと懐かしく思うことだろう。毎年学生が地方からやって来ては帰って行く街。家賃¥28,000の岩坂荘の屋上は、毎年夏、ある晩電球を点けて、仮設のビヤガーデンを女将が作る。そしてこのアパートOB会を開いて昔話を咲かせるのが常だった。

たしか1階は焼き鳥屋だったはずだ。気が強いが優しい女将だった。クスリ漬け年金生活者も旅立って、良くも悪くもそのOB会の一員になるはずだった。ところが現実悲惨だった。旅立つはずの日、六号坂から抜け出せないアヒル一群となってしもうた。卒業が出来ず、国家試験受験資格も得られなかった。

留年である。退学するか、もう一年やるか考えたくもない決断だ。問題は現金やる気だ。両方ないと挫折絶望が待っている。六号坂アヒルの仲間たちも岩本を除いて留年していた。皆に閉じこもって顔を合せなかった。その晩、クスリ漬け年金生活者はやけになり、深夜の関越道時速160キロ信濃方面に向け暴走していた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました