舞鶴地方引揚援護局の当時の係官に話を聞くことが出来た。船名と上陸の日付がわかれば、厚生労働省に問い合わせて乗船名簿を確認できるとのこと。それに入国持ちこみ品も記載されているから、なくした行李の手がかりになるかもしれない。そう教えてくれた。そうか、遺失物は赤レンガ倉庫に保存されているのか。
これで問題解決に一歩近づけた。あとは母92の長期記憶が鮮明に蘇ってくれれば、乗船名簿にたどり着けるかもしれない。「乗っていた引揚船の名は?」これが「再会の街 舞鶴」のキャッチコピーになってしまっているのか。なんとも物寂しい。
この舞鶴引揚記念館の収蔵品は、ユネスコ世界記憶遺産に登録されているという。では、母の失くした行李もここの収蔵品として、ユネスコ世界遺産に登録されてしまっているのか。凄い。さすが母である。そんなに歴史的に貴重なものだったのか。
舞鶴に入港したすべての引揚船のリストを係官から入手した。これを持って、いったん母のもとに走り、今度は霞が関の厚生労働省を目指さなければならない。まだ先が長いようだ。今回はいったんこれで引揚げることにした。駅前のセブンイレブンで銘菓「岸壁の母」を県警本部長に買った。
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