その昔、昭和では塾の夏期講習なんて存在しなかったから、夏休みは学校に代わって町内児童会が子供たちの面倒をみるのだ。長い休みでも生活リズムが崩れないように、事件・事故に遭わないように。町内会長はじめ皆が子供を大事にしていた。それが当時の風習だった。
夏休みには、毎朝、塩釜神社に集まってNHKラジオ体操をする。スタンプがたまると皆勤賞。豪華な景品が夏休みの終わりにもらえる。そして昼は町内単位で学校のプールに連れて行く。1時間みっちりと泳いで帰って来る。このころからプール漬け年金生活者の素地が作られて行く。
夜は塩釜神社に集合。お神輿を担いで青山様だ。女の子はちょうちんを持って、ぼんぼん行列をする。青山様は各家庭をまわって「塩まいておくれ」と騒ぐ。各家庭では子供が花火をしている。ネズミ花火やせんこう花火。煙幕やロケット花火も人気があった。
不良は2B弾や爆竹で武装した。ケンカ相手に投げつけるのである。やけどが発生し、泣く子が多発した。そして学校は禁止した。すると今度はクラッカーに蔵替わりした。いたちごっこである。現代で言えば、危険ドラッグのようなものか。そして町内児童会が立ち上がった。2B弾やクラッカーを密売している駄菓子屋を、一斉検挙したのである。平和な話だ。
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