79年前、ウジ虫は消毒薬の代わりをしてくれた。腐った皮膚や組織を食べて除去してくれていたのである。だからウジ虫がわいた傷口は不思議と治癒するのが、早かったことを覚えている。ただ包帯を開けたとたん、傷口に何十匹とウジ虫が這いまわっているのは、あまりいい気持ちはしない。
でも次第にみんな慣れていった。十分な治療が出来ないから、死亡する者も後を絶たない。だから今思うと外科壕がパンクすることがなかったのかもしれない。しかし、地下壕での南風原陸軍病院での活動は長くは続かなかった。この年の5月、首里城地下にある第32軍司令部が南部の摩文仁に撤退することを決定し、陸軍病院も南部へ移動することが決まったのだ。
しかし陸軍病院を移動することは簡単ではなかった。健常者であっても、米軍機の機銃掃射を逃れ、艦砲射撃をかわして、サトウキビ畑や密林の中を南部まで移動するのは困難極まりない。さらに移動は夜間に限られる。夜道は歩きにくく、方向も定かではない。しかも夜が明ける前には、目的地に到着し、身を隠さなくては命がない。
負傷兵や病人はとても連れては行けない。自力で歩ける者は途中まででも連れて行くことにした。その夜、各壕では動けない重傷患者2000余名に、看護婦によってミルクが配られた。久しぶりのご馳走である。喜ぶ者もいたが、大半は気づいていた。それでも文句は言わなかった。大日本帝国陸軍としての最期の使命に従ったのだ。
(注)霊障が強いので十分なご配慮をお願いします
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