それは2001年9月11日、東北の山中にあった。東北新幹線からローカル線を乗り継ぎ、さらにタクシーに30分も乗る。付近には山しかなかった。ここも二重のゲートで仕切られ外界から隔絶されていた。あれから東北では大震災があったから、今も現存しているかどうかわからない。
その日は、米国でビンラディン氏がハイジャックによる同時多発テロを決行したが、日本は前日から台風に直撃されていた。なんとまだ全便欠航中だ。どうするべきか。「空港で便の回復を待て」本部から工作員に指令が出る。仕方なく嵐の中、空港へ向かう。10時過ぎになって、突如臨時便が羽田へ飛んだ。
東京駅では案内人が待っていた。売店で弁当とお茶を買う。案内人も買う。売人から受け取ったレシートを案内人に手渡す。案内人も信用されていないのだ。三人は手配人が用意したチケットで新幹線に乗り込んだ。そして須賀川入り出来たのは15:00近くである。
現地では、初日の工作員研修も終わりかけていた。予定では前夜に須賀川入りだったから、大部遅れてしもうた。他の工作員の視線を一斉に浴びた。事後紹介となるのか。大量の極秘資料を受け取る。17:00にはマイクロバスで山あいの宿泊施設へ向かう。ゴルフクラブあとの、今は使われていない寂れたホテルだった。
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