JAL123便 1

ベント

ニュースによると、つい昨日のはずの出来事が3日寝ただけで、40年の彼方となってしまったぞ。御巣鷹山はそんなに過去だったのか。いや、今でもまだ終わっていないぞ。毎週のように、You-tubeでは「123便の政府陰謀説」「自衛隊のミサイル誤射説」などが更新されている。

圧力隔壁の破断」と説明されているが、実際はどうなのか。なぜ40年経った今でも、情報が錯綜しているのか。不可思議な歴史である。それもそのはず、1985年8月12日当日は惜しくも相模湾・伊豆半島沖で、自衛隊による演習が実施されていたのだ。ちょうどJAL123便航路と一致する。

さらに当時は情報開示が今のようには十分でなく、政府が情報をコントロール出来た。有力目撃情報が寄せられていたのに、機体が発見されたのは大幅に遅れた。さらに救助活動は夜明けを待って行われた。この時間差が、暗闇にまぎれて証拠隠滅を工作したのではないか、という憶測を生むことになる。

演習で誤って発射された、空対空ミサイルまたは対艦ミサイル123便尾部に命中、垂直尾翼を損傷。その衝撃で全油圧系統を喪失操縦不能に陥る。墜落後、事故原因を隠すため政府・米軍・自衛隊が情報を封鎖。対処した後に、情報公開したというシナリオである。森友文書にみられるように、情報の隠蔽・改ざんは政府の得意とする分野だからだ。

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