年金生活者の迷い込んだ密林

プライベートビーチまで、なんとか戻ってくることが出来たが、波があとから追いかけて来るのではないかとの恐怖からパニック状態となっていた。そして気づいた時には、密林の奥深くまで逃げ込んでしまっていた。「海は波にさらわれたらすぐ死ぬ。ジャングルなら向こうから襲って来ることはない。すぐ死ぬことはない。海よりまだましだ」そんな考えに支配されてしまっていた。

大波に、岩から荒れ狂う魔海へ引きずり降ろされた恐怖がまだ残っていた。思い出すだけでも怖かった。もしかしたら、あの時岸に戻れず沖に流され死んでいたかもしれない。あの状況で岸まで戻れたのは、奇跡としか言いようがなかった。無残にも右の手のひらが手袋ごと破れ出血していた。岩をつかんでいた時に切れたのだ。この程度で済んでよかった。左手で圧迫して止血する。

密林の中で、どこがどこだか、わからなくなってしまっている自分に気づいた。密林に逃げ込んだはいいものの、抜け出せなくなってしまったのだ。背丈の３倍以上ある高さの木々が生い茂り空も見えない。ツタやタケは足にからまり、どかさないと前進出来ない。水中マスクを着けないと、木々の枝や、先端に鋭いトゲのある葉が顔や眼にあたり危ない。手袋をしていてもトゲのある葉は痛い。

もう疲れ切ってしまった。呼吸も荒くなり、全身が火のように暑い。厚手のウェットスーツを着たまま、密林の中を方角もわからず無我夢中で動き回ったからだ。年金生活者は若者と違って体力も落ちている。私はリュックを枕に、その場に倒れ込んでしまった。