092幽体とその一族はしばらく古河の三菱地所跡地で暮らした。三菱といえばあの有名なゼロ戦を作った会社である。でも跡地には何も残っていなかった。戦後の日本はどこでも惨憺たるものだった。深刻な食糧難とインフレによる生活難が続いた。食べるものがなく、米は遅配、欠配が続きおかわりの出来る白米などは夢のまた夢、芋雑炊が食べられればいい方だった。
092幽体一族は父、正が戦艦の機関長であったことから、三菱造船のボイラー部門の技術者として勤めることが出来た。092幽体孝子と妹の昭子、清子、正隆は古河の学校に通った。しかし暮らしは決して楽なものではなかった。疎開者、特に満州からの引揚げ者に対しての偏見はひどいものであった。「ただでさえ食べ物がなく皆苦しんでいるのに、なぜわざわざ満州から帰って来たのか。引揚げ者に喰わせる余裕などない。わしらの生活がもっと苦しくなってしまう」あからさまに不平を言う民もいた。
今でいう難民扱いである。だが難民とは違い同じ日本人ではないか。そんな中、幽体一族は戦後をたくましく生きた。小学校は今のような給食はなく弁当持参だった。しかし持っていく弁当など作れるはずがない。それで092幽体はなんと毎日、毎日、来る日も来る日も空の弁当箱を持参した。そして昼食の時間になると包みを重そうに開けて、食べているふりをした。そして水道の水を飲んで腹を満たしたのだ。
民の子らは家が農家であることが多く、白米の詰まった弁当を毎日うまそうに箸で喰っていた。それも漆の弁当箱と箸だ。092幽体の弁当箱は洗う必要がないからアルミ製でいつまでも新品ピカピカだった。恵美子は家の米が底をつくと、家財や服をその農家に持って行き米を分けてもらう生活が続いた。092幽体の食事は毎日夕食のみ。それも茶碗もあげてしまったから、みな盃で芋雑炊を食べた。「何杯でもおかわり出来てうれしい」一番小さい正隆が言った。
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