もと県警本部長は失踪した。ある日を境にぱったりとプールに姿を現さなくなったのだ。いったいどうしたのか。部下は平静を装って、通常どおり勤務している。そうだ、水中ウォーキングである。しかしその動静について決して口をわらない。そういえば直属の部下、県警本部長の護衛に当たる、ペースメーカーの凛々しい姿も見えない。皆、表情も険しく、何かを隠していると直感した。
そんな中、10時、12時、14時とプール漬け年金生活者が殺到する時間帯に、館内放送が繰り返し流れるようになった。「いつもご利用いただきまして、ありがとうございます。今月に入り、体調不良から救急搬送される方が相次いでおります。少しでも体調に異常を感じる方は無理をせず、体調をしっかり整えてからプールに入るようにして下さい。」
今月から師走に入り急に冷え込むようになって来ている。しかし毎年のことだ。今までにこんな内容の放送は聞いたことがない。もしかしたら、80歳をゆうに超える県警本部長がヒートショックになってしまったのか。「物価高 ワシの心も値を上げる」これが、もと県警本部長が残した最後の句となってしまうのか。
一般市民も、にわかにざわつきはじめた。県警本部長の失踪に気づき出したのだ。この館内放送も相まって、皆、心配して噂をしている。その小声のささやきが、水中ウォーキングをしていても、泳いでいても、どこにいても耳に入って来る。それほど絶大なる存在なのである。係員に詰め寄る者も後を絶たなかった。しかし、係員は終始無言だった。重苦しい闇と沈黙は続く。
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