岸壁の年金生活者 1

1945

春爛漫の伊丹空港には昼過ぎに到着した。ジェット気流に乗り、空中にはスギ花粉が飛び交う。桜も満開を終え、散り際をむかえている。昼間は暑いが、朝夕はまだ冷え込む。クスリ漬け年金生活者は、その母92の命にて舞鶴港へ向かっていた。空港からは京都交通の高速バスが東舞鶴駅まで出ている。完全予約制だ。

なんとか乗ることが出来た。やっと一安心である。今日中に舞鶴に着ける。気づけば、なんと79年ぶりである。あっという間だ。目指すは舞鶴港舞鶴地方引揚援護局である。ここでは本当にお世話になった。検疫入国手続き家族への連絡・上京への切符の手配など。だがやり残したことがある。それが母92の命なのだ。

引揚岸壁で紛失した行李1個を、ぜひ探し出してほしい」母がこの79年間、思いを遂げられずにいたことらしい。満州から持って来た行李は全部で3個。そのうちの1つだ。さぞ大切なものが入っていることだろう。引揚援護局には話してあるそうだ。「次来るときまでに必ず見つけておく」と言われたそうだ。

その次が1年後ではなくて、79年後になってしもうた。母も13歳の少女から92歳の後期高齢者風化した。引揚援護局も待っていてくれるだろうか。高速バスは「海の京都舞鶴を目指して丹波の山中を疾走する。悲しみ本線日本海が見えて来る。不安とともに、気分高まるなんでもっと早く来なかったのだろうか。

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