胸部大動脈瘤破裂

オヤフコウ

それは突然やってきた。16年前の4月30日0:30携帯が鳴った。

「これからICUに入ることになったでな」 今思うとわざと元気そうな声だった。自分は何と答えたか覚えていない。最後の大切な会話だったのに。

ICU入室前に看護師が遠方にいる私は間に合わないだろうと察し、父に携帯を貸してくれて、父自ら電話したという。

長男とともに一便で羽田に降り東京駅に向かう途中、弟から「亡くなった」との電話が入った。間に合わなかった。急すぎる。あっけない。

実家に着くと父の方が先に帰宅していた。親戚中が集まっていて騒がしかった。いや、わざと騒がしくしていたんだ。残された母をどうするかで、私が着くのを待っていた。兄弟は二人きり。結局長男である私が引き取ることになった。

その時はなんとも思わなかったが、この年になって気づいた。遠く離れて住む息子は、それだけでも大きな親不孝をしているんだと。

だけど、ちゃんと毎年家族で帰省していたよ。それに行けない年は両親をこっちによんで観光地を回ったりしたよ。

長男が生まれたときは、長男をリュックに担いで、新幹線の出来る前だから上野から特急に乗って何時間もかけて。でもそれだけでも足りないかと思って毎月給料日には父母の好きそうな食べ物やお菓子をゆうパックで送って罪滅ぼしをしてきたよ。

父は晩年タバコの吸い過ぎから肺気腫になり在宅酸素療法をしていた。

風呂場、台所、居間と至る所に酸素の延長チューブがはりめぐらされていた。最近は「酸素量2リットルでもきつい」と母にもらしていたという。

でも帰るといつも満面の笑みで迎えてくれた。不平・不満はいっさい言わず、

もちろん「帰って来て」とも言わない。特上の寿司を近所の寿司屋から出前してもらうのが常だった。父の話だと、母はうれしくて昨日の夜から全然寝てないよとのことだった。でもこんな平和は長く続かなかった。

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