カマを手渡す時に、表情に変化がないかを確認して渡す。そして過去と同じ過ちを繰り返さぬように、声に出して確認する。「きょうはヤギの草を刈りに来ています。このカマは、今日は草を刈るもので、人の首を刈るものではありません」しもうた。間違えた。「今日は」ではなく「いつも」だった。
みんないっせいに持ち場に離れていく。スタッフも草を刈るふりをして、実際は患者の状態に変化がないか、観察する。カマを手にして、記憶が蘇らないか。同じ行動をとらないか。いわゆる「カマ暴露療法」である。スタッフは緊張する。
「いつも患者全員を視野にとらえておけ。絶対に患者に背を向けるな。自分の背後には来させるな」先輩から厳しい指導を受ける。いくらクスリでコントロールされているとはいえ、やはり怖い。ここは、人気のない山奥だ。味方は誰一人いない。突然、動きを止めた者、表情が変わった者は見逃さない。すぐに菓子パンを渡して、カマを取り上げる。でも、ほとんどの患者は人懐こく、よく話す。
やっと、ライトバンの荷台が草でいっぱいになった。みんなで座って菓子パンをほおばる。UCCの缶コーヒーも旨い。みんなでいろんな話を順番に始める。それぞれの物語が聞ける。過去や未来の人生を語る者もいる。こういう場でしか聞くことが出来ないのだ。限りなくファンタジーな世界が始まる。 皆、私より人生経験豊かだった。愛知や大阪に季節工として働きに行っている時に、寂しさからか、孤独感からか、発症した者が多かった。やがて日が傾く前に帰棟する。何事もなければ、昭和の、のどかな一日が暮れる。
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