南風原陸軍病院

1945

クスリ漬け年金生活者が、年明け早々に向かう拝所がある。今では沖縄最凶心霊スポットの一つとまでなってしまっている。本当に困ったものである。このに入ると、いつもひんやりとした霊気が包み込み、ゾクゾクッとして寒気に襲われ、全身鳥肌が立つ。黄金森にある南風原陸軍病院である。

ここから次元太平洋戦争末期1944年に変わる。さとうきび畑におおわれた、のどかな平和沖縄さとうきびが風にそよぐ。それが台風明けの10月10日、大規模な米軍の集中攻撃(十・十空襲)を受けた。那覇一帯は壊滅。燃え狂う火災3日3晩燃え続け、多くの死者を出した。

那覇市の開南中学校にあった沖縄陸軍病院は、院長廣池文吉軍医大佐のもと、軍医・看護婦(当時の名称)・衛生兵等450名余のスタッフで機能していた。ところが病院であるにもかかわらず、十・十空襲標的とされ容赦ない攻撃を受け続けた。そして24時間後患者もろとも焼け落ち、全壊した。

その後、沖縄陸軍病院は多数のスタッフ医療器材薬品を失いながらも、南風原分院のあった南風原国民学校に移動する。しかし翌1945年米軍による空襲激化。そして3月下旬、ついに地上施設での診療を諦め、多数の地下トンネルを掘り、地下壕の中に野戦病院を築いた。第一外科壕には外科患者、第二外科壕には内科患者、第三外科壕には伝染病患者を収容した。

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