学童疎開を追体験 宮崎

1945

やーさんめし」とは「ひもじいめし」を意味している言葉。疎開した学童らは弁当がなく、学校の昼休みにはそっと教室を出て行ったという。さらに宮崎は沖縄と寒さも段違い。雪も降る。氷も張る。学童らは半ズボンに半そで、靴や靴下もなく裸足。だからいつも「ひーさん」「ひーさん」と言って泣いていたという。

「ひーさん」とは「寒い」を意味している言葉。そして両親から遠く離れての生活。疎開生活中に米軍の沖縄上陸の知らせが届く。親を思い、心配し「しらかーさん」「しらかーさん」と泣いていた子も多いという。「しらかーさん」とは「さびしい」を意味している言葉。さぞ心細かったことだろう。

さらに夜の海に出て、実際の疎開船の追体験もする。「夜の海はこわい。大きな波に飲まれそうな気がした」という感想や、「みんなで乗ってたからワイワイ、ガヤガヤして楽しかった」という小学生もいた。あの当時の子供たちと全く同じである。それが突如として、台風で荒れ狂う海に投げ出されたのである。

こうして学童疎開を追体験した小学生らは沖縄にもどり、追体験して得たこと、感じたこと、思ったこと、そうして平和の大切さを何年もかけて広く皆に伝えていく。そう自分のにまで。こうして「今生きているきみ」は、次世代のピースメッセンジャーとなる。

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