岸壁の年金生活者 2

1945

高速バス舞鶴若狭自動車道を降り、やがて舞鶴市内に入る。あたりには夕闇がせまっていた。東舞鶴に近づくと赤レンガ倉庫群が現れる。港にはいくつもの自衛隊の艦船が、ところ狭しと停泊している。かつては軍港だったのだ。しばらく走ると道幅が急に狭くなる。

そして昔ながらのままの街並みが現れる。駅前商店街だ。しかし、ほこりまみれだったり、扉が壊れていたり、閉店している店も目立つ。1945年の歴史が風化したのか、経年劣化したのか。かつてのような、にぎわいや活気はもうそこには無かった。人もほとんどみかけない

東舞鶴駅でバスを降りると、かすかに風が潮の香りがする。遠く船の汽笛がきこえる。突然79年前の風景が脳裏によみがえる。船から降りて来る復員者迎えの人街の歓迎する人検疫をする職員。人、人、人で呼吸が苦しくなる。幸いにも、もう日が暮れてしまったので、東舞鶴駅近くに宿をとることにした。

翌朝、いちばんで小さな路線バスに乗り舞鶴港引揚桟橋を目指す。京都交通から、かまぼこ板乗車券をもらう。皆、これを頸にかけている。当時の風習だ。所要時間は約20分とのこと。中田で下車する。国道からそれて、引揚桟橋に向かう道を川沿いに下る。動悸息切れがして来た。

コメント

タイトルとURLをコピーしました