岸壁の年金生活者 4

1945

それで母92の命(めい)はどうなったのか。ふと我にかえった。そのために来たのではないか。行李みやげに持って帰らねば。だが、振り返ると桟橋一面人人人の波沖の引揚船から小型船が次々と往復する。小さな桟橋人人人であふれかえり、海に落ちる者も出て、足の踏み場もないほどだ。

人人人の波をかき分けて行李を探すのは至難の業である。なかには、長い間のシベリア抑留生活から解放されて、戻って来た人々もいる。凍傷耳や指がないから、すぐにわかる。偶然にもでは、二宮和也主演の「ラーゲリより愛をこめて」が流行っているではないか。まさにベストタイミングだ。

しかし探し物は見つからない。「おかえりなさい。おつかれさまでした大きな垂れ幕を掲げた、復員軍人会のご婦人に聞いてみる。「わかりませぬ。引揚援護局に行ってみなはれ。」とのことだった。そうだ。母も確かそう言っていたではないか。思い出して早速引揚援護局に向かう。

ところが、舞鶴地方引揚援護局のあった場所には、もうもうと白煙が立ち込めている。「終戦を迎えたのだから、もう空爆はないはずだが…」用心して少しゆっくり進む。するとの中から現れたのは、なんと大きなベニヤ工場群だった。引揚援護局の建物はもう跡形もなかった。やっぱりベニヤ工場群の方が現実だったのだ。

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