年金生活者とマリンジェット

ウミ

不運は時と場所を選ばずして起きるものだ。でも実際は幸運だったのかもしれない。こうしてまだ生きているんだから。でも思い出すのもイヤな出来事なんだ。忘れたい。いつものように、いつもの場所で魚を潜って突いていた。その日は夏真っ盛りで観光客もいっぱい。水中観光船もひっきりなしに発着していた。その時遠くにマリンジェットの爆音が聞こえていた。イヤな予感がしていたんだ。

水中観光船はスクリュー音がするから、近づいて来たら警戒も出来るし、のろいから深く潜ってやりすごすことも出来る。船長もプロだから人が泳いでいないか、海をよく見ながら、船を低速で進める。しかしマリンジェットは違う。無音だ。高速で近づく。予測不可能。高速だから、操縦している人からは潜っている人など見えやしない。怖い。

案の定それは起きた。何回目かに浮上した時、頭が何かに当って数メートル跳ね飛ばされた眼の前が突然泡で真っ白になりそのあとのことは覚えていない。私は意識を失ってしまったのだ。「おにいさん! おにいさん!」と女性インストラクターの声で気がついた。「大丈夫?けがはない?岸まで泳いで戻れる?」と聞いてきた。見るとバナナボートを引っ張っているインストラクターのようだ。私は何が起きたのかすぐには理解出来ず、答えられなかった。

とりあえず「水中メガネがないと戻れない」と言うと、「私が探してあげる」とマリンジェットから海中に飛び込み、海底に飛ばされていた水中メガネを見つけて来て、私に渡した。そして「気を付けて岸まで帰ってね、ここは危ないから」と言い残し、なんとあろうことか、私を救助せずに、観光客満載のバナナボートを引っ張って行ってしまったのだ。年金生活者の私を「おにいさん」と呼んでくれたことには感謝するが、あとは感謝出来ない。

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