その昔からクスリ漬け年金生活者には必ず隣(となり)組の存在があった。有名な山口組に始まり、ひよこ組、星組、月組と続く。昭和の時代は向こう3軒両隣が「隣組」の単位と称されたのだ。だからおよそ10世帯くらいか。
食料や衣類などの生活物資の配給、年貢の取り立て、防空訓練、兵士の見送りとすべて隣組単位で行われた。すべての隣組には組長さんがおり、組を束ねている。連絡手段としては、今も使われている回覧板である。自分の家で読み終わったらとなりの家まで持って行く。
持って行くのはたいてい子供の役割だった。隣組の集合体が町内会であり、夏休みの前には、必ず町内児童会が小学校で開かれた。そう、通学の際の集団登校や集団下校は町内会が取り仕切っていた。交通安全のおじさん、おばさんも発生源は町内児童会だ。
町内児童会が開かれるのは、長い夏休みに入る1日前だった。セミの鳴き声がうるさい体育館に全校生徒が集まって、町内ごとに分かれた。夏休みの行事も町内児童会が企画していた。
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