指導監督医は研修医のことで頭を抱えていた。患者を診るどころではなくなっていたみたいだ。勇二の掘ったほら穴は、見たこともないような深いものだった。呼んでも声も届かない。姿も見えない。これでは、プロでも戻っては来れまい。研修医と勇二は、深い、深い、ほら穴の底の世界で言葉を交わし、共同生活をするようになっていった。そしてその素晴らしい世界に魅了されていく。やがて気づくと半年も経ってしまっていた。
勇二の世界の頂点には、優しい姉がおり、すべてを見守りそして支配していた。勇二には親がいなかったから、生きる希望は、唯一、優しい姉の愛だけだった。そして満たされていた。その世界に研修医が入ってしまったのだ。そこは、ものすごく深いほら穴で決して戻れない。その結果どうなったのか?
研修医は姉に愛を告白し結婚したいと言い出した。姉は弟のことを一生懸命で治療してくれ、また当時の「きちがいが身内にいれば結婚など出来ない」という世間の風潮を一気に覆してくれた研修医の勇気に感動していた。
やがて姉も結婚を考えるまでになっていった。しかし、結婚は二人だけの問題ではなかった。研修医の親は猛反対し、指導監督医に抗議までしたらしい。 精神分裂病(当時の病名)などの重症な精神疾患を持つ親から生まれた子供は、健常な親から生まれた子供と比べて約10倍の確立で発症する。それは、今でも変わっていない。だけど病気なのは、親となる姉の弟だ。何度も研修医と姉と指導監督医が夜遅くまで話し込んでいるのを見かけた。
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