12月09日(土)真珠湾攻撃の翌日、県警本部長は復員された。「シベリアは寒さが厳しく夜に咳が止まらなかった」「もう二度と行きたくない」と話す。よくシベリアに抑留されて無事にもどって来れたものである。やはり鍛え上げられた、県警本部長の肉体だからか。みな口々にそう言った。そして喜びあった。
直ちに部下により県警本部長の体が精査されていく。手の指の数、足の指の数、耳がちゃんと顔についているか。ノミ・シラミの寄生はないか。そして栄養状態など。県警本部長はかなり痩せて衰弱して見えたが、水中ウォーキング出来た。現地はマイナス40℃の極寒の世界。指が一本もげても痛みもせず、わからない。
満州の地でスターリン率いるソ連兵に貨車に連れて行かれた。そして「トウキョーダモイ!」という言葉に騙され、乗った貨車はなんとシベリア鉄道を西に。何日も走って、バイカル湖をすぎたところで降ろされた。2時間も歩いてラーゲリ(強制収容所)に連行され、それから地獄の日々が待っていた。寒さと飢えに耐えながら、来る日も来る日も重労働を強制されたのである。
コウリャン粥コップ1杯と黒パン350g、これが毎日の食事だった。そして赤痢やコレラが流行。栄養失調や感染症で次から次と死んでいった。土は凍っていて掘れないので、雪だけをどけてその中に遺体を埋める。だけど次の朝にはもういなくなっていた。夜、オオカミやクマが咥えて行くのだ。しかしどうすることも出来なかった。県警本部長の眼には、遠く涙が浮かんでいた。
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