そして大波の頂上に船が来たら、今度は船首が急に下を向く。そのままでは船は大波を滑り落ち海中に船首から突っ込む。即沈没だ。だから今度は全速力で後退する。スクリューを全力で逆回転させて、できうる限り速度を落とすのだ。舞鶴までの航海予定は2週間。この間この操縦が永遠に続くのか。そしてこの間、便意を我慢し続けるのか。定員オーバーで喫水線よりも大きく沈んだ船では重たくて、いくら船長石丸寛治の腕でも操れない。便意を我慢していればなおさらだ。
それよりも燃料がもたない。大波が来るたびに、エンジン全開で前進、後退を繰り返していたら進みたくても進めない。それよりも便意が限界だ。どちらもとても舞鶴まではもたなかった。必死で受け入れてくれる港を探した。もちろん普通の港ではだめだ。多数の引揚げ者を乗船させている。検疫と収容施設が整った港だ。そして船はついに暴風雨の中、仙崎港の沖に姿を現した。
2時間も大波の来ないタイミングを待った後、船長石丸寛治操る船は、嵐の中なんとか引揚げ桟橋に接岸した。接岸直前、予期せぬ大波で船体が大きく一度揺れて桟橋と接触し、桟橋が一か所だけクッションのタイヤもろとももげてしまった。「まあ一か所だけだからよしとするか。飛び越えられないこともないし。」船長石丸寛治は無事に役目を果たしたことに、ほっと尻をなでおろした。
そして何時間もかけて引揚げ者の下船と検疫が行われた。船長石丸寛治は何時間も便所から出て来なかった。奇跡的に092幽体は家族もろとも無事だった。ところが命は取りとめたものの、持ってきた行李がない。全財産が入った行李だ。どこを探しても見つからない。下船と検疫の混雑の合い間に何者かに盗まれてしまったのだ。092幽体の家族は絶望に暮れた。そして引揚げ者は寄宿舎のような建物に収容された。
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