その峠のシェルパとして開発されたのが、EF63である。EF63の開発秘話は、日本の鉄道技術者たちが「碓氷峠の安全」を守るために挑んだ物語そのものなのだ。発端は「アプト式の限界」にあった。碓氷峠は1893年(明治26年)の開通以来、ラックレールを使うアプト式鉄道だった。
しかし戦後になると、①輸送量の増加 ②列車の高速化要求 ③保守費用の増大 が問題となる。そこで国鉄は、「ラックレールを廃止し、普通の鉄道(粘着運転)で66.7‰を越えられないか」という大挑戦を始めたのだ。当時、世界的に見ても、この勾配を幹線鉄道で粘着運転する例はほとんどなかった。
技術者たちの最大の不安は、実は「登ること」よりも、「下りで止まれるのか」が最大の課題だったのだ。仮に500t級の列車が66.7‰を下ると、強烈な重力で加速し始める。もし万が一、ブレーキが失われれば列車は、暴走して大惨事を引き起こしてしまう。
そのため設計陣は、①発電ブレーキ ②抑速ブレーキ ③空気ブレーキ ④電磁吸着ブレーキ を重ねて搭載する方針を採ることにした。このいくつものブレーキを備えても、1975年(昭和50年)10月28日には、碓氷峠機関車脱線転覆事故という大惨事が起きてしまう。「魔の66.7‰」と呼ばれる所以である。


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