追憶碓氷峠6

タビ

明治時代、日本は“全国鉄道化”を急いでいたのだ。明治政府は、東京、名古屋、京都、大阪だけでなく、地方都市も鉄道で結ぼうとしていた。長野県も重要であった。なぜなら、生糸産業、内陸交通、軍事輸送の面から重要地域だったからだ。しかし問題があった。長野県は「山だらけ」だったのだ。

現在の篠ノ井線ルートは、松本盆地善光寺平を結ぶ。ところがその間には、険しい山岳地帯とともに、冠着山(かむりきやま)が立ちはだかっていた。ここを越えないと長野へ行けない。しかし当時の鉄道技術では、①急勾配 ②急曲線 ③長大トンネル は非常に難しい問題だった。

姨捨駅スイッチバックは駅開業と同じ1900年(明治33年)に作られた。現在の篠ノ井線開通時の開業となる。つまり、①日露戦争前 ②自動車ほぼ無し ③電化前 ④蒸気機関車時代 の開業である。当時の鉄道技術で25‰勾配はかなりの難所だった。

そこで、姨捨駅に止まるためには平坦な引き込み線が不可欠になったのだ。こうして現在の通過型スイッチバックが誕生したのだ。では、電化後もなぜ残っているのか?それは ①地形的合理性 ②運用上問題なし ③歴史的価値 があったからだ。つまり、「古いから残った」のではなく、「今でも合理的だから残った」のだ。

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