長野市で育ったから、子供のころから、上野に出るたびに碓氷峠は通過した。何十回となく。そのころはまだ国鉄時代だ。国民みな金がないから、特急なんて乗らない。だから特急列車も見当たらない。急行妙高、急行能登、急行アルプスくらいが、最高級の時代だった。それでも4時間以上はゆうにかかった。
さすがに、長野-上野間は250㎞以上あるから、普通列車を利用した記憶はない。でも学生たちは、各駅停車が常だったかもしれない。高崎線経由で各駅停車があった。埼玉県の大宮市(当時)に親戚がいたから、学校が休みになるたびに出かけていた。大宮はこの路線上に位置する。
時代は経過して特急あさまの時代へ。急行は数を減らし、かわりに特別急行あさまが、上信越線をほぼ1時間おきに走る時代となって行く。私も中学生くらいになり、鉄道のイロハが理解できる年齢となっていった。そしてこの碓氷峠の過酷な歴史を知るのである。
長野県は山国だ。だから日本一標高の高い駅も存在する。そして篠ノ井線にはスイッチバックがある。急坂路の限界を列車がどう克服するか、さまざまな工夫が取り入れられて来た。そして、日本一急こう配のこの碓氷峠超えが、国鉄時代の最難関だったのだ。たどり着いたのが、アプト式鉄道だ。

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