追憶 碓氷峠 30

タビ

このように、EF63の操縦方法は牽引する車両によって異なり、複雑だった。実は、この運転士教育EF63開発の一部だったのである。碓氷峠協調運転は、機関車EF63だけ作れば終わりではない。それを思い通りに操れないと、大惨事を招く恐れがあるのだ。

そこで当時の国鉄は、横川機関区の乗務員に対し、①特殊ブレーキ操作 ②急勾配運転 ③協調運転 の訓練を実施した。EF63協調運転操作は、非常に高度な技能を求められたのである。その結果、「横軽乗務員」は全国でも特別な技能を持つ運転士集団、として知られるようになった。

しかし、どんなに訓練して最善を尽くしても、66.7‰の世界は過酷だった。ついに牙をむく日がやって来る。それは1975年(昭和50年)10月28日06:16に起きた。碓氷峠脱線転落事故だ。はたして、どんな事故だったのか? それは幸いなことに、旅客列車ではなく、軽井沢から横川へ下る回送列車で起きた。

編成は機関車だけの4両編成。①EF63 5号 ②EF63 9号 ③EF62 12号  ④EF62 35号 で構成されていた。 事故の経過はこうだ。下り66.7‰区間で異常が発生。何らかの原因でブレーキ系統、または保安装置が正常に機能せず、列車は加速を始める。やがて速度は制御不能となり、猛スピードに達した。

コメント

タイトルとURLをコピーしました